「真実の口」2,273 オウム真理教・地下鉄サリン事件から 30 年
- 佐々田 共一
- 3月21日
- 読了時間: 10分

昨日( 3 月 20 日)で、新興宗教団体・オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こして 30 年が経過した。
地下鉄サリン事件は、戦後初の都市直下型地震・阪神淡路大震災発生から約 2 ケ月後に起きた。
東京の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)の丸ノ内線、日比谷線、千代田線の 3 路線の地下鉄車両内でオウム真理教の信者らにより神経ガスのサリンが散布され、乗客および職員、さらには被害者の救助にあたった
人々にも死者を含む多数の被害者が出た。
1995 年当時、平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界初の化学兵器を利用した無差別テロ事件でもあった。
使用された化学兵器は、サリン(化学式:C4H10FO2P)。
事件当日の 3 月 20 日は月曜日で、事件は平日朝のラッシュアワーのピーク時が狙われた。
オウム真理教の信者 5 人は、 500 〜 600g の溶液が入った袋詰めを運び、各々に命じられた列車に乗り込み、乗降口付近で先端を尖らせた傘を使い、袋を数回突いて下車。
これにより、 乗客・駅員 14 人が死亡、負傷者数は約 6,300 人に上った。
以下、Wikipedia を参照。
オウム真理教とは?
教祖である麻原彰晃(本名:松本智津夫)が、「ヒマラヤで最終解脱した日本で唯一の存在で空中浮揚もできる超能力者であり、その指示に忠実に従って修行をすれば誰でも超能力を身に付けることができる」、などと謳い若者を中心とする信者を多く獲得した新興宗教である。
松本智津夫は、「松本畳店」を経営する畳職人の家庭の四男( 男 6 人、女 3 人の 9 人兄弟の第七子)として生まれた。
先天性緑内障のため生来、左目がほとんど見えず、右目の視力は 1.0 程度だったとされる。
1961 年(昭和 36 年) 4 月〔智津夫・ 6 歳〕、小学校入学に際し、一旦は八代市立金剛小学校に入学するが、視覚障害者(隻眼)を理由に、同じ年に、熊本県立盲学校に転校、寄宿舎に入ることとなった。
智津夫にとっては、学費も寄宿舎代も食費も不要な盲学校へ入れられた=親に捨てられたという思いでしかなかったようだ。
入れられた盲学校では、目が見えるために、他の子供たちを子分扱いにし、周囲を暴力で支配していた。
しかし、その一方では、高等部での担任教師であった人物が、盲学校時代の報道を聞いて「そういう陰日なたのある人間とは、とても感じられなかった」、「明るい活発な子で、遠足に行くときは見えない子の手を引いてやったりしていた」とも述べている。
毛沢東や田中角栄などにかねてから傾倒し、「東京大学法学部卒の自民党の政治家となりゆくゆくは内閣総理大臣の座に就くこと」を志すようになったとされる。
1975 年(昭和 50 年) 3 月〔智津夫・ 20 歳〕、熊本県立盲学校を卒業。
東京大学を目指すが 3 度の挑戦で挫折。
1978 年、千葉県船橋市で開院した“中国で学んだ松本智津夫の中国式漢方総合治療室”「松本鍼灸院」を開院。
既にこのころから、予備校時代からのブレーンが若者を勧誘していたとされている。
しかし、鍼灸師として「病気の人を完治させることができない、無駄なことをしているのではないか?」と悩み、無常感を抱き、四柱推命や気学を研究し始める。
更に、運命を知っても運命を変えることはできないと考えて見切りをつけ、台湾鍼灸、漢方、断易、六壬を経て、奇門遁甲と仙道にたどり着き、神秘体験を経験する。
そして、さらなる修行を深めるため真光教等の宗教に近づき、阿含宗へと行きつく。
1980 年 8 月 25 日〔智津夫・ 25 歳〕、新宗教団体阿含宗に入信。
1981 年(昭和 56 年) 2 月、船橋市高根台に健康薬品販売店「 BMA 薬局」を開局。
BMA 薬局とは、ブッダ・メシア・アソシエーションの略称らしい。
1982 年(昭和 57 年)、無許可の医薬(蛇やニンジンの皮といった漢方薬をアルコールに漬けた『青龍丹』)を販
売し 4,000 万円を稼いだものの、「効き目がないどころか下痢をした」などと告発され同年 6 月 22 日に薬事
法違反で逮捕、 20 万円の罰金刑を受ける。
同年〔智津夫・ 27 歳〕、経営塾などをやっていた人物に弟子入りし「彰晃」の名をもらい、「松本彰晃」を名乗る。
1983 年(昭和 58 年)夏、身体を清浄なものとする阿含宗の教義などが、本来の阿含経とかけ離れていると感じ脱会。
同年〔智津夫・ 28 歳〕、東京都渋谷区桜丘に、仙道・ヨガ・東洋医学などを統合した(超)能力開発の指導を行う学習塾「鳳凰慶林館」を開設し、本名の松本智津夫から「アシュラ・シャカ」という意味が込められている麻原彰晃へと改名。
1984 年(昭和 59 年) 2 月〔智津夫・ 29 歳〕、学習塾「鳳凰慶林館」をヨガ道場「オウムの会」に変更し、
5 月 28 日には、株式会社オウムを設立。
1985 年(昭和 60 年)〔智津夫・ 30 歳〕、神奈川県の三浦海岸で修行中に「アビラケツノミコト(神軍を率いる光の命)になれ」と啓示を受けたという。
同年秋には、空中浮揚したと称する写真が雑誌『ムー』や『トワイライトゾーン』に掲載。
1986 年(昭和 61 年) 4 月〔智津夫・ 31 歳〕、税制上の優遇に目をつけて、ヨガ道場「オウムの会」を宗教団
体「オウム神仙の会」と改称。
同年 7 月、ヒマラヤで最終解脱したと称し、「武力と超能力を使って国家を転覆することも計画している。その時は、フリーメイソンと戦うことになるだろう」などと語っている。
1987 年(昭和 62 年) 7 月〔智津夫・ 32 歳〕、「オウム神仙の会」から「オウム真理教」へ名称を改め、布教活動を展開。
話は変わるが、オウム真理教には、有名大学卒や理系の信者が多かった。
早川 紀代秀( 1949 年生まれ)・神戸大学農学部、大阪府立大学大学院農学研究科卒
井上 嘉浩( 1969 年生まれ)・日本文化大学法学部中退
新実 智光( 1964 年生まれ)・愛知学院大学法学部法律学科卒
土谷 正実( 1965 年生まれ)・筑波大学卒
中川 智正( 1962 年生まれ)・京都府立医科大学医学部医学科卒
遠藤 誠一( 1960 年生まれ)・帯広畜産大学(獣医学士、獣医学修士)卒、京都大学(四年制博士課程中退)
岡﨑 一明( 1960 年生まれ)・山口県立小野田工業高等学校工業計測科卒
横山 真人( 1963 年生まれ)・東海大学工学部応用物理学科卒
端本 悟( 1967 年生まれ)・早稲田大学法学部中退
林 泰男( 1957 年生まれ)・工学院大学工学部二部電気工学科卒
豊田 亨( 1968 年生まれ)・東京大学大学院理学研究科修士課程修了(物理学専攻)
広瀬 健一( 1964 年生まれ)・早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了(物理及び応用物理学専攻)
いずれも死刑判決を受け死刑執行されている。
その他にも・・・。
村井 秀夫( 1958 年生まれ)・大阪大学大学院理学研究科
上祐 史浩( 1962 年生まれ)・早稲田大学大学院理工学研究科修士課程
青山 吉伸( 1960 年生まれ)・京都大学法学部
皆、私と同世代である。
私も大学時代、キャンパス内で妙な新興宗教の勧誘が行われているというのは耳にしたことがった。
因みに、以下に示すのは、 1995 年 6 月 28 日に行ったオウム真理教出家修行者対象のアンケートデータである。
● 性別
男: 459 人( 41% )
女: 661 人(59% )
計: 1、120 人
● 年齢
平均: 30.1 歳
最多: 26 歳( 102 人)
● 他の宗教団体への入信経験
あり: 35%
なし: 65%
● 学歴
大卒: 37.8%
短大卒: 7.0%
専門学校卒: 16.7%
高卒: 25.2%
● 入信動機
1 位: 本を読んで・・・ 273 人
2 位: 勧誘・・・ 171 人
3 位: 出家者・修行者の姿を見て・・・ 61 人
4 位: 教義に納得して・・・ 52 人
数字を如何に読むかはお任せする。
話を戻そう。
オウム真理教の信徒数の推移である。

地下鉄サリンが起きた時には信徒数が 15,400 人にも上っていたのである。
教団が狂想を始めるきっけがある。
1990 年(平成 2 年)〔智津夫・ 35 歳〕の衆議院選惨敗である。
当時、街頭演説で、「彰晃 彰晃 しょこしょこ 彰晃 麻原彰晃」とエンドレスに流されづけ、耳に残るメロディは小学生が口ずさむほどにもなっていたのを覚えている。
同時期、村井秀夫や遠藤誠一らに命じ、生物兵器ボツリヌス菌の培養を試みていた。
1992 年(平成 4 年)〔智津夫・ 37 歳〕、ロシアに進出し多数の兵器を購入。
1993 年(平成 5 年)〔智津夫・ 38 歳〕、多種の兵器開発を強化し始める。
同年 5 月、炭疽菌培養を開始。
同年 6 月、亀戸異臭事件が発生(炭疽菌による生物兵器テロ未遂事件)。
同年 7 月、東京で炭疽菌を散布。
同年 8 月、サリンの生成の合成に成功。
同年 11 月、池田大作サリン襲撃未遂事件を起こす。
1994 年(平成 6 年) 5 月 9 日〔智津夫・ 39 歳〕、滝本太郎弁護士サリン襲撃事件を起こす。
同年 6 月 27 日、松本サリン事件を起こし、初の犠牲者が出る。
同年 8 月、皇居周辺でのサリン散布を計画。
同じころ、 VX ガスの合成に成功して以降、教団に敵対する人物らを次々と襲撃。
1995 年(平成 7 年) 1 月 1 日〔智津夫・ 40 歳〕、読売新聞朝刊が「上九一色村でのサリン残留物検出」をスクープ。
その後、 1 月 17 日の阪神・淡路大震災により警察の強制捜査はいったん遠のいたと考えていたが、同年 2 月
末の公証人役場事務長逮捕監禁致死事件でのオウム真理教の関与が疑われ、麻原ら教団幹部は強制捜査が切迫していると危機感を抱いたようだ。
同年 3 月 15 日、ボツリヌストキシンによる地下鉄テロを起こそうとするが失敗して未遂に終わる。
同年 3 月 18 日、麻原ら幹部(麻原、村井秀夫・遠藤誠一・井上嘉浩・青山吉伸・石川公一)を乗せたリムジン
において、強制捜査への対応が協議された(通称:リムジン謀議。車中謀議とも)。
同年 3 月 20 日、千代田線(我孫子発代々木上原行き)、丸ノ内線(荻窪発池袋行き)、丸ノ内線(池袋発荻窪行き)、日比谷線(中目黒発東武動物公園行き)、日比谷線(北千住発中目黒行き)の車両内で凶行に及ぶ。
1 人の男の妄想により、多く人が洗脳され、人としての道を踏み外すこととなった。
しかし、洗脳・妄想と侮ることは出来ない。
以下が、オウムの後継団体の信徒数推移である。

あれだけの事件を起こしていても、未だに、その信仰を崇めている人がいるのである。
昔は、書籍や勧誘からの入信だったのが、今は SNS 時代になり、入信の仕方も変わってきているようだ。
実際に大学に相談が寄せられたケースを紹介しよう。
【ケース ① 】
・デートだと思ったら・・・。
男子学生がSNSで可愛い女性と知り合い、チャットを通して次第に好意を持つように。ヨガの話で盛り上がり、体験イベントに行かないかと誘われ、会うことになる。当日、会場に向かう道中で初めて「仏法体験」だと聞く。到着後、複数の関係者に囲まれ、その場の雰囲気にも飲まれ、渡された紙にサインをしてしまう。その紙は入会届だったようで、後日会費の請求が届く。
【ケース ② 】
・友人を助けるつもりが、逆に取り込まれ・・・。
一浪して弁護士を目指し入学した学生が、カルトに取り込まれた友人を救うために、友人を説得。しかし、そのうち逆に勧誘され、入信してしまう。母親から大学に相談があり、学部の担当教員が本人と母親と面談をしたが、結局、退学届を出し学生は出家してしまった。
【ケース ③ 】
・優しい先輩だと思っていたら・・・。
両親の不仲や将来の進路などで悩む学生が、学生ラウンジで人柄の良さそうな学生から「卒論のアンケートに協力してくれませんか」と声を掛けられる。話をする中で「元気なさそうに見えるけど、悩みでもあるの?」と親切そうに気遣われ、そのまま喫茶店で悩みを聞いてもらい連絡先を交換したが、その後、宗教の執拗(しつよう)な勧誘が始まった。
【ケース ④ 】
・サークルイベントだと思っていたら・・・。
地方出身の新入生が、「サークルに入らないと科目登録の情報が入らない」「うちのサークルは 100 名以上いるから安心だし楽しい」などと勧誘され、連絡先を交換。後日、先輩たちに東京見物に連れて行ってもらった流れで宗教団体の会館に連れて行かれ、入会届や新聞購読を強引に勧められた。
カルト宗教は、一旦踏み入れてしまうと、自身での脱退は容易ではない。
貴方の身近な人は大丈夫だろうか?
今回は地下鉄サリン事件から 30 年ということもあり取り上げてみた。
警視庁はオウム真理教に対しての注意喚起を怠ってはいない。
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